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フォントの歴史 知って楽しいフォント事情

フォントというモノが認識されだしたのは1980年頃だと思います。それ以前もコンピューター用の書体、ワードプロセッサー用の書体はありました。ただ文字のデザインという踏み込んだ領域に入るには技術的にまだまだ未熟だったのです。そういった時代も国内外の書体メーカーは心血を注いでおり、数々の優秀なデザインが生まれました。にもかかわらず、フォントという認識は生まれませんでした。マシン(機械)自体に依存する事が多かったのも原因だったでしょう。いかにして「フォント」という言葉が多くの人が知るようになったか歴史を覗いてみましょう。


フォントの歴史 フォントはいかにして誕生したか?

フォントの始まりは「Macintosh」(マッキントッシュコンピューター)の始まりとほぼ同時と言えます。Macintoshは「Cairo」「London」「San Francisco」「Venice」「Los Angeles」「Athens」などフォント名に地名がついたオリジナルなものが多く、「New York」「Chicago」「Monaco」などは現役で活躍しています。「Courier」「Helvetica」「Times」などのスタンダードなものも入っており、こういったデザイン的に優れたフォントを切り替えて使えるというのがMacintoshの最大の魅力の一つでした。また、こうしたフォントはバラエティ、質ともクオリティが高く、最小のフォント数にして最大の効果が得られるという、優れたMacintosh哲学の結晶でもありました。以後のフォントの流れにもこれらのフォントは大きな影響を与え続けることになります。日本語フォントでは付属の細明朝体、中ゴシック体以外にも、しばらく後にゴシック体の「osaka」、明朝体の「kyoto」が発売し日本語の環境にいち早く、対応したのもMacintoshでした。1984年、初代Macintoshの発表と同時にAdobe社によりPostscriptのフォントが公開されました。このフォントは当時画面上でなめらかなフォントを表示することが技術的に困難だったため、スクリーンではギザギザでもプリントアウトするとなめらかなラインになっている様に開発された最新の技術でした。以後フォントメーカー、出力・印刷会社もこれに追随する形で発展していきました。そしてMacintoshでは現在でもPostscript、フォント形式のバージョンアップをくり返し商業印刷業界の標準の地位を築いています。
そのAdobe社のPostscript形式に対抗するため91年に、マイクロソフト社とアップル社の共同開発によって作られたのが「TrueType」フォントです。TrueTypeはプリンタ側にフォントがなくても印刷ができ、フォントデータのアウトライン化ができるなど、たいへん利便性の高いフォントでした。Windows95の標準の仕様ということもあって瞬く間に一般家庭に普及しました。ところが、大手フォントメーカー、出力・印刷会社はフォントのコピーが簡単にできる、出力に時間がかかる、高解像度の出力が出来ないなど、様々な誤解・行き違いから二の足を踏んでいました。普及すると思われたWindows DTPでしたが、思わぬ障害につまづいてしまいました。そうしている間にAdobe社とマイクロソフト社の共同開発により「TrueType」と「Postscript」の良いところを足して作られた「OpenType」フォントと言う形式が96年に発表されました。この形式はWindows2000以降のWindows OS、Mac OS X以降に標準で入っておりOS間を意識することなく使用でき、いままで問題になってきた部分も改善した夢のような新フォント形式です。しかし現在の所、ソフトメーカー、出力・印刷所ともに未対応の所が多いのが現状です。


デザイナーズフォントの誕生 デザイナーによって進化を遂げたフォント達

ロンドンで開催された「ネビルブロディ展」が90年に日本で開催され、大好評。日本のデザイン、タイポグラフィーシーンに大きな影響を与えました。彼が生んだスタイルはそれほどに斬新なタイポグラフィーだったのです。また、当のロンドンではデザイナーズ・リパブリック、ミー・カンパニー・tomatoなどが斬新なコンピューターによるタイポグラフィーシーンを築きつつあり、日本の若者にもその噂が徐々に聞こえ始めていました。
日本でもこのあたりから急速にタイポグラフィー・フォントの動きが活発になります。ゆえに人によっては第一次タイポ・フォントブームともいわれています。特に印象的なデザイナーに松本弦人、タイクーングラフィックス、中村至男、立花ハジメがあげられます。松本弦人は(株)サルブルネイとして『APE』、『MOP』というグラフィック関係のフロッピー付きペーパーマガジンを出しました。これには多数のオリジナルデザイナーズフォントが収録されており、いろいろな意味で時代を先駆けた商品でした。タイクーングラフィックスは「i-D JAPAN」のアートディレクションで毎号オリジナルフォントを使ってデザインしていくという斬新な手法を試みていました。その他多数のタイクーンによるオリジナルフォントを使用したデザインがこのころ行われています。中村至男は、明和電機シリーズを始めとし、数々のレトロ系、カタカナ、漢字のデザインをしており現在のカタカナデザインにも少なからず影響を与えていると言えるでしょう。立花ハジメはこの次期コンピューターによるタイポグラフィー的な作風が強く、この一連の作品でタイポグラフィーはかっこいいというイメージを抱いた人も多くいました。国内では初のフォント制作ソフト「FONTOGRAPHER」の見開き広告が中川憲造の制作解説とともに雑誌に載っていました。しかし、海外ではもうすでに「FONTOGRAPHER」によるデザイナーズフォント制作は一つの流れとして構築されており「Emigre」「T-26」などのインディーズフォントカンパニーが商業的成功を収めて地位を確立していました。一方、日本の若者の間では海外のインディーズデザイナーフォントを使ったクラブフライヤーが一世を風靡していました。
1994年にサルブルネイ・松本弦人のプロデュースで行なわれた「マッキントッ書展」から発展した「フロッケ展」が開催されます。フロッケとはコミケのデザイナー版みたいなものです(大意)フロッケ第一回にはその作品にはペッパーショップによる「フォント集+ディレクタームービー」などが含まれ「フォント=僕らでも作って売れる」という図式がはじめて登場します。続く第二回ではペッパーショップの「ペッパーフォント」以外にも、ヨーヨーラランデーズによる「Thai Font」、ミヤヂマタカフミ「レヂスター95フォント」、ソエジマケイタなどのフォントが並び、売り上げもフォント作品が上位を占めることになります。水谷さるころ、初谷なおこなど女性らしいデザインのフォントも人気がありました。このフロッケでは、アルファベット以外でもかっこいい表現が可能。1バイトでのカナの配列など以後のフォントシーンの流れを作っていく数々の試みがなされています。とくにフロッケ5でのミヤジマタカフミの7書体は現在もエバーグリーンな輝きを放っています。
95年以降日本でもインターネットが急速に普及していきます。海外ではフォントのダウンロードが普及していましたが、日本にはまだありませんでした。そこで、デザイナーがウェブサイトにフォントをアップし紹介し始めました。テクノ系が豊富だった「cyclone graphix」を代表に、優秀なサイトが次々と増えていきました。「YOWORKS」「PARAKEET DESIGN(宮坂 淳)」「SmileStudio」「WAAP DESIGN」「SmileStudio」「Nendo Graphixxx」「Body-s」「extra designs」「STUPID」などが個人的にとても印象深いです。サイトデザインとしても、当時のWEBデザインの最先端をいっているものが多く、見ているだけでも興奮したものです。クリックをしてフォントがダウンロード出来ることに皆が感動を覚えたはずです。また当時「SHIFT」ではそういった優れたデザイナーを紹介し、フォントをシェアウェア化していきました。
フォント人気に追い打ちをかけるように97年にデジタローグによりFONT WORLD EXPO97が開催。同時に「フォントパビリオン1」が発売されます。97年時点の代表的な作家、フォントが収められセールス的にも成功を収めます。また当時A&PコーディネーターJAPANより発売されていた「GAS BOOK」にもフォントが収録され、その後フォントのみの「FONTROM」も続いて発売されます。
初の一般公募によるフォント展「FONT WORLD EXPO'99」が行われます。この中からの優秀作品がフォントパビリオン6〜8として発売されました。「デザインプレックス」誌で特集が組まれたり、「AXIS」で蜂賀 亨による、毎号フォントクリエーターを1つ紹介する連載も始まりました。「Fontographers」(翔泳社)など書籍も発売されました。この当たりの次期を第二次フォントブームと言います。
2000年ごろから、パソコン雑誌でフリーフォントの収録が増えてきます。「フリーフォント」という言葉が定着したのはこのころだと思います。また、フォントをアップしていた老舗サイトの多くが次々と、停止、廃止を行っていきました。その逆にWindowsで作られたフォントをちらほら見かけるようになります。今まではMacを持ったデザイナーがFontographerで作るというの常識だったのですが・・・フォント制作、デザイナーズフォントの存在はいつのまにか広く一般の知るところとなっていたのです。十代の女の子がWindowsでといったパターンが実際にかなりありました。これはWindows用フォント制作ソフト「TTEdit」が浸透してきた効果もあると思います。そんな中、「Fontographers BOLD1.01」(翔泳社)、デジタローグからはDPI'72というスクリーン専用のビットマップフォント集「DPI'72」が発売されます。またこの時期を前後してに非常に多くのビットマップフォントを中心につくるサイトが増えています。2001年移行に増えてきたタイプに「手書きフォント」があります。とくに女の子風の文字が様々作られました。


 

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